babillion’s blog

地球村人です。プロの翻訳者ではないが、趣味で文章を翻訳したり、気ままに感想文を書いたりします。コメント大歓迎です。よろしくお願い致します。

宮澤賢治の『雨ニモマケズ』を改めて読んでの感想

宮澤賢治の『雨ニモマケズ』を改めて読んで、考え、分からないところを理解しようと探求してみました。
『雨ニモマケズ』簡単のようで、奥深い詩ですね。
昔も二三度読んだことがあったのですが、
あまり深く考えずに、なんとなく素朴で人の心の奥底を響く力があったなあと感じました。


今回改めて読んだのは、日本語の文章を中国語への訳し方を研究するためでした。
最初の目的はそうでしたが、原文と参考訳文を相互に見て、
自分の理解も照らし合わせて考えると、いろんな疑問が出てきて、
更にネットを検索して、多くの人の理論と研究にたどり着き、
何時間も何時間も詩の解読に費やし、そしてこの過程を楽しんでいると、
なにやっているの?と妻に怪訝され、
説明しようと長々と言葉を並べてみたが、あくびで返されました。

 

何も考えず、斜め読む感じで、リラックスしながら文章を読む。
それはそれで一つの楽しみ方。
分からない単語や、前後関係、人物の行動原理、
ストリーの細部、はたまた作者の身の上や文章を書いた時代の社会環境などなど、
探求しながら理解しようと文章を読む。
それも一つの楽しみ方。
趣味としてやっている翻訳でも、下手なりに力の及ぶ限りでちゃんとした文章にしたいので、
楽しむための読むよりどうしても細部を探求するような読み方になります。
さらに、できるだけ正しい日本語にするために四苦八苦しています。
苦労して楽しんでいるとはこのことですね。
苦労せずも楽しい。
苦労しても楽しい。
まったく、人間って愉快なものです。

 

宮澤賢治さんって、
後世に大勢いの人が彼の文章を読んで、はっきりしないところを多くの時間を費やして考えたり解読に苦労しているのを知っていたら、やはり「クニモサレズ」というような節を書くのでしょうか。

 

ところで、あなたは『雨ニモマケズ』をどのような気持ちで読んだのでしょうか?